左上)プラムタルト・アルザス・プリューノ
(右上)ヘーゼルナッツショコラムース
(下)ブッシュードノエル

4.食卓用陶磁器(食器リンク→)・レストラン  宮島ワンダ 

テーブルセッティングはリネン、磁器、カトラリー、グラスで構成されますが、
レストランと家庭では大きな違いがあります。レストランではフォーマルなものが
多く、リネンや皿、グラスには色の付いたものを使いません。デコレートしたカト
ラリーもあまり見られません。また、ウエディング以外はセンターピースに、ほとん
ど力 を入れません。セッティングは先ずリネン、次に皿、カトラリー、グラス、
せンターピースの順に飾りますが、フルセッティング(ディナーなど食事を頂ける
状態)では、リネン無しで19個の道具をセットしておきます。位置皿、パン皿、
テーブルナイフ、テーブルフォーク、フィッシュナイフ、フィッシュフォー ク、前
菜用ナイフ、前菜用フォーク、テーブルスプーン、デザートフォーク、
デザートナイフ、デザートスプーン、コーヒースプーン、バターナイフ、白ワイ
ングラス、赤ワイングラス、ゴブレット、シャンパングラス、ナプキン(白)と19個
あります。カトラリーの数や内容を見れば、何のメニューが出てくるのか分かりま
す。ただ、19個以外にスープ皿、ケーキ皿などのお皿が、後から出て来ます。
さて、ヨーロッパで作られた磁器を国別に見て行きましょう。以前、日本の女性に
もらって嬉しいティーカップを調査した資料がありますので、窯元を順に紹介して
行きます。

先ず、イギリスではウエッジウッドがあります。一七五九年創業の、英国の名門
であり、粘土に骨灰を混ぜるボーンチャイナが有名です。
英国の作家スマイルズの「自助論」で紹介されて以来、海外で暮らした経験がある
人たちのステータスとして定着しました。図柄は、ギリシャ神話の一場面など、
ストーリー性に富んでいます。特に、19世紀初頭の原画を元にデザインした
「ワイルドストロベリー」は人気があります。一九六五年の発売以来、売り
上げ上位を続けており、野イチゴの図柄が、英国庭園を思わせます。また、
「アレクサンドラ」は二〇〇四年に日本で先行販売され、プラチナのラインが幅広
い年代層に人気があります。王侯貴族の宝飾晶ティアラが描かれています。また
「フロレンティーターコイズ」は一三〇年以上前にデザインされ、ギリシャ神
話に登場する黄金の守神グリフィンを描いています。


ドイツではマイセンがあり、一七一〇年創業で欧州で最も長い歴史です。代表的なも
のは1739年完成した「ブルーオニオン」があります。竹の根元に双 剣を描いて
あるところが他のブルーオニオンと違います。書かれているのは桃、ザクロ、竹です
が、ザクロがタマネギに見えたことからこの名がつきました。
それぞれ、幸福、繁栄、長喜を表しています。また、日本に馴染みがある染め付け
で、使っている色が少ないので料理とのコンビネーションが取りやすいです。また
、現代マイセンを代表するシリーには「波の戯れホワイト」があります。ホワイトほか
青い花など多数の柄があります。アラビアンナイトなどもそうですが、白いお皿
に、波が書いてあるのではなく、型になっていることが特徴で
す。

また、ドイツにはフッチェンロイターのエステールなどもあります。

フランスにはエルメスがあります。一八三七年創業で、皮製品では有名ですが、
食器類への進出は一九八四年と比較的最近です。白地にHの文字を幾何学的 に描く
「リズム」などがあります。Hの色は赤緑青の3色です。一九三八年発表の
アクセサリーを描いた「シェーヌダンクル」は、四代目のロベールデユマエルメス
が港を散歩していたときにひらめいたデザインです。「シェスタ」は異国風の庭園を思い描いています。

また、フランスで陶器はジアンがあり、パンジーが書いてある
アリスが有名です。

デンマークはロイヤルコペンハーゲンです。「ブルーフルーテッドプレイン」は
中国のバラと菊を描いています。横笛のような溝があるので、フルーテッドと呼ばれ
ています。一七七五年の設立当初からある伝統の柄で、職人の手描きによる
絵づけを続けています。日本にも、早く入ったので定着しています。

ちなみに、日本ではナルミの「ロージーレーン」があります。バラのつぼみが徐々に
咲く様子が描かれています。一九一一年に創業し、六五年にボーンチャイナの量産化
に成功しました。強度は世界有数の水準といわれています。

この他、南欧ではリチャードジノリ「イタリアンフルーツ」、中欧ではハンガリー
ヘレンド「ウイーンのバラ」、オーストリアのアウガルテン「ウインナーローズ」
などが知られています。
また、基本的に磁器はチャイナと呼ばれるように、ブルーオニオンやフルーテッドな
ど、中国から影響を受けたものが多いようです。ヨーロッパ人の嗜好で あれば建築
に、合わせて描かれています。また、同じ磁器でも色が土の質により、全然違いま
す。例えば、エルメスのリモージュの白と比べると、ジノリの白はブルーぽく、硬い
感じです。

次にグラスですが、格式を重んじる場合はステムウエアを使います。ゴブレットや
白ワイン、赤ワイン、シャンパンフルートがあります。最初は神に新酒を
捧げるために使い、王様、貴族、庶民に移りました。タンブラーはジュースやミル
クを飲む時の普段使いのコップです。昔の酒杯は獣角で、庶民はガラスを持
てず、置けば転がるので、タンブラーと呼ばれるようになりました。また、タンブ
ラーは食後に別室で、スコッチやウイスキーなどに使われます。

カトラリーは西洋人の家庭では銀器を買います。テーブルウエアは人間より寿命が
長いので、母から娘に誕生日にプレゼントします。

リネンは西洋の食卓にかかせないものです。特に、綿でなく光沢のある、麻が好まれ
ます。形はテーブルトップに合うもので、色はフォーマルな白です。
寸法は25cmあります。また、ヨーロッパではレースは小物で、食事の時でなく、
ティータイムの演出として使います。ディナーの時は白でしっかりしたリネンを、
ランチは目的に応じて、色を変えたりします。

お菓子はタルトプリュノー(上記ご参考)。アルザスの方でなクエッチという少し
細長いタイプのプラムを使っています。クエッチは蒸留酒にも使うプラムの種類です。
タルトはタルト生地にアーモンドクリームとセミドライのプラムを混ぜこん、焼き、
上にカスタードクリームを塗ります。上には赤ワインとレモンの皮で、コンポートした
プラムを乗せて、艶出しと乾燥を防ぐためにナパージュを上がします。最後に、ピスタチオとミントを飾りました。

5.イタリアの食文化はトルコ料理と根がおなじ? 宮島直機

トルコ料理がフランス料理、中華料理とならんで世界3大料理となっていることを皆
さんはご存知でしょうか。
トルコ料理は、食材も料理の種類も豊富にです。トルコ人はイラン高原からやって
きた遊牧民なので、羊を焼いて食べていました。
そこで羊の肉を使った様々な料理があります。また、イスラム教を受け入れたので、
アラビア半島の食文化の影響も受けています。
さらにローマ帝国の東半分を構成していたビザンツ帝国の首都コンスタンチノーブル
(現在のイスタンブール)を占領したので、ローマ帝国の食文化も受け入れていま
す。以前にお話しした南イタリアも、もともとはビザンツ帝国の一部だったので、
ローマ帝国にあった豊富な野菜、果物、さらにパン、オリーブ油、ワインを受け継ぎま
したが、このような食材や料理の豊富さが南イタリアと同じような形でトルコ料理
にも受け継がれたというわけです。
トルコ料理の食材は野菜、果物の他にハーブ類も豊富で、さらにインド経由でもたら
されたスパイス類も、コンスタンチノーブルで取引されていました。
また、イスラム教徒は酒が飲めないので、トルコではお菓子類が豊富です。そのなか
から、いくつか挙げてみますと、
○シャーベット:高い山の雪を氷室に保存しておいて、夏に氷菓子を作っていまし
た。トルコの皇帝だけが食べていた贅沢なお菓子です
○エズメ:アーモンドやピスタチオをすりつぶして砂糖で練ったもので、日本の生菓
子に似ています。
○ハウワ:白胡麻をすって砂糖で練ったもので、ポーランドなどにも広まっていま
す。
○ロクム:日本の求肥に似たお菓子。
○ババ:サバランの原型になったケーキです。ちなみに、「ババ」は「親父」の意味
で、「開けゴマ」で有名なアリババは「アリおじさん」という意味になります。
また、のちにルネッサンスの中心になる北イタリアのジェノバ、フィレンツェ、ベネ
チア、ミラノなどの都市はビザンツ帝国や、ビザンツ帝国を征服したトルコとスパイ
ス類の取引があったおかげで繁栄しました。
ちなみに、フォークはビザンチ帝国からベネチア経由でヨーロッパに入っています。
このように、イタリアの食文化とトルコ食の文化は根がおなじだということになりま
す。

◎ポーランドのクリスマス12月号なので宮島直機氏にポーランドで経験したクリスマ
スについて話していただきました。
ポーランドでクリスマスを経験しましたが、意外と知られていないのは、雰囲気が
日本の正月によく似ていることです。
これは、もともと正月もクリスマスも冬至の祭りが起源になっているからでしょう。
冬至には昼が一年中で一番、短くなり夜が一番、
長くなります。そこで、ひょっとすると太陽が死んでしまうかもしれないと心配され
ました。そんな太陽を蘇らせるために行われたのが冬至の祭りでした。
クリスマスは聖なる時間が流れる時で、日本の正月のように家族だけで静かに過ごし
ます。イブには特別な料理を用意します。肉は食べません。パン粉を付 け、フライパン
で揚げた鯉や茸など。ほかにキャベツや茸を入れた餃子(もちろん肉なし)、キャ
ベツや茸が入ったスープを食べます。このスープは出汁を干し茸(松茸に似た香りが
よい茸)から取ります。肉は使いません。
また、真夜中になるのを待って教会に行き、真夜中のミサに参加しますが、これなん
かは、まるで除夜の鐘を待ち、それから初詣に行くのとおなじです。帰宅して一休み
し、それから特別な料理を食べるところもそっくりです。
なお、ヨーロッパで肉といえば基本的に豚肉のことで、鶏肉(たとえば七面鳥)や魚
肉はクリスマスでも食べてよいことになっています。
ケーキも特別のものを用意します。ポーランド語で「マコービエッツ」と呼ばれる芥
子の実が入った焼き菓子(ポーランド語で芥子の実のことをマックと言います)や香
辛料が入ったジンジャー・ブレッドのような焼き菓子、卵と砂糖と胡桃で生地を作っ
たロールケーキなどです。
料理の数は13種類、用意します。これはイエスに従った12使徒とイエスの人数に合
わせた数です。最後の晩餐に因んだものです。また、突然の来客のためにテーブルに
余分にお皿を置いて、席を一つ用意しておきます。

◎ブッシュ・ド・ノエル
写真のお菓子はブッシュドノエル。まきの形をしたクリスマスの定番で、フランスの
お菓子屋では、ショーケースいっぱいに並びます。
最近はムースのほうが多いですが、バタークリームのロールケーキにしました。
クラッシックはこのような形をしています。中はコーヒー風味のスポンジで、間には
ラム酒風味のバタークリームとカスタードクリームを合わせたものが入っています。
バタークリームは敬遠されるイメー ジありますが、軽めの卵風味で食べやすくして
あります。
外側はコーヒー風味とバニラ風味と緑に色付けした3種類のバタークリームを使って
います。
きのこはメレンゲを乾燥焼きにしました。上にはココアパウダーと粉砂糖をふって
います。下は落ち葉をイメージするため、フィアンティーヌを付けました。

6.プロトコール 編 宮島ワンダ

プロトコールは、日本語で「外交儀礼」と訳されます。国柄や文化が異なる人々が
集まる時、みんなが気持ちよく時間を共有するためのマナーのことです。服装と
テーブル、コミュニケーションの三本柱をマスターする必要があります。
1. フォーマルウェア
◎ホストのドレスコード(服装規定)
先ず、フォーマルウェアですが、ホストとゲストでは違います。ホストのドレス
コード(服装規定)は、自分の感覚ではコーディネイトできません。
公 式な午餐会=男性は、モーニング・コートで正式なスラックスはグレーの縞が
入って います。女性はアフタヌーン・ドレスで床までのロングです。
公式の晩餐会(午後7時以降)=男性は燕尾服(ホワイトタイ、白いベスト)です。招
待状にホワイトタイと書いてある場合は、燕尾服を意味します。白い蝶ネクタイの意
味ではありません。女性はイブニング・ドレスで、フランス語ではローブデコルテと
呼びます。ロングは男性と供に出かける時だけです。男性なしの場合、ロングは着ま
せん。また、肩を出して、手袋をします。着席の時は手袋をしたままでよく、レセプ
ションなどの立席では取ります。また、夜の正餐はバンケットと言います。着席する
ディナーのことで、ドレスコードが決まってい ます。
 公式でない晩餐会、一般の結婚式など=男性はタキシード(ブラックタイ、カマー
バンド)です。タキシードは、夜しか着ません。またカマーバンド、つまりベルトを
しているのが特徴です。靴はエナメルのオペラシューズで、リボンが付いています。
ブラックタイはタキシードを意味します。女性はロング・ディナードレスです。長袖
であまり肌を出さず、裾は床まであります。男性はディテールが大事な服装をしてい
るので、失敗するとすぐ分かります。また、男性は選択の余地はほとんどないため、
選ぶ時は男性から決めたほうがようでしょう。女性はいくらでも男性に合わせること
ができます。
◎TPOに合わせたフォーマルウェア
ディナーパーティ=ホストはタキシードかブラックスーツ(黒いベスト付き)。
ゲストはブラックスーツ、カラーフォルマールで、流行を取り入れてもよいでしょ
う。TPOに合わせて、とはコーディネイトすることです。ただ、ゲストはタキシー
ドを着ません。また、ベストは着た方が良く、蝶ネクタイなどは、カラーにしてもよ
いでしょう。
 一般のパーティ=ホストは昼がブラックスーツかニューフォーマル、 夜はタキシー
ドかブラックスーツです。ゲストは昼も夜もホストと同様です。ドレスコードが無い
のでゲストは楽です。ただ、ホストがタキシードではない場合があるので、ブラック
スーツが無難だと思います。タキシードの場合は、招待状にブラックタ イで、と書い
てあります。ちなみにブラックスーツの靴は紐付きで、色は黒です。
レセプションなど会社の記念行事=会社の人が集まるとビジネスが付きものです。あ
まり遊ばないほうがよいでしょう。ホストは昼がモーニングコートかブラックスー
ツ。ブラックスーツはベストが入って、3ピースで揃えます。夜はタキシードかブ
ラックスーツです。ゲストは昼も夜もブラックスーツで、ホストより控え目にした方
がよいでしょう。男性がタキシードの時はエレガントな雰囲気があるので、女性は
パールを 身に付けます。
 音楽会、発表会、年始などで改まった挨拶や訪問、およびクリスマスパーティーのような親しい
人の集い=男性は立場に関係なくブラックかダークスーツです。女性はカクテルドレスで、カクテル
ドレス姿は、クリスマスパーティーによく見られます。カクテルパーティーは、午後16時から20時に開き、
1回2時間、立食でおつまみ程度です。遅れて参加してもいいし、途中で帰ってもかまいません。また、
レセプションは歓迎会を意味し、だいたい立食で、ビュッフェスタイルです。

2. ゲストが集まるビジネスや社交の場のエチケット
英語の「マナー」もフランス語の「エチケット」も「礼儀、作法、習慣」など を
意味します。人と付き合う時に、人間関係をスムーズにする言葉使いや作法、社会
的な約束ごとや申し合わせなどです。また、注意しなければならないのは、日本人は自分から知らない人に
話しかけたりしませんが、欧米人は笑顔で挨拶したり話しかけ
たりして、知らない人とも積極的にコミュニケーションをとることを重視します。

◎挨拶の仕方(グリーティング)=立ち上がり、笑顔で歩みよる。名前を名乗る。
相手の目を見ながら握手をする。

◎握手の仕方(ハンドシェイク)=背筋を伸ばす。相手の目ながら握手をする。
相手の手はしっかりと握る。

◎紹介の仕方(イントロダクション)=年下の者を年長者に。目下の人を目上の人
に。紹介される人は二人とも起立する。特に女性に紹介された時、男性は必ず席
を立つ。役職、肩書きのある人を紹介するときは、そのことも忘れずに付け加え
る。年長者や目上の人に紹介されたときは、男女とも先方から握手を求められた場
合のみ手を出す。

◎接待の仕方(エンタテーニング)=ホストは招待状を1ヶ月前に出す。招待状
が届いたら、ゲストは1週間以内に返事を出す。着席方式のパーティでは、プレイ
ス・カードをテーブルに置いて混乱を避ける。招待者が60人以上の場合・レシービ
ングラインを設けて全員がお互いに挨拶が出来るようにする。ラインの先頭にはホ
ストが立つ。レシービング・ラインは会場内の入り口近くで、大勢の客に見える位
置に。パーティの場合、男女の数がほぼ同数の場合は、男女交互に着席する。酒
類は1人3杯までを目やすにして、飲み過ぎないようにする。
レシービングラインは、よく、結婚式の終わりに見られるように入り口に並ぶこと
です。ふつうパーティの時は、入口にレシービングラインがあります。ホストや
ホステ ス、関係者の順に、1列に並んでゲストをお迎えします。ゲストはそこで
挨拶と握手をして会場に入って行きます。レシービングラインは開始予定時間の
15分後にはなくなるので、時間に遅れないようにします。またレシービングライ
ンがある場合は、パティー開始のスピーチや挨拶はしません。

◎ラバイヤデール
写真のお菓子はラバイヤデール。インドの舞姫、バレリーナの名前です。戯曲もあ
ります。一番下にはメアーモンドパウダーを少し入れ、軽めのさくっとさせたメレ
ンゲを敷いています。その上はミルクチョコのムースで、間にアールグレイのブ
リュレクリームを挟み、層にしています。ちなみに、洋服の生地で幅が違うスト
ライプをバイヤデール柄といいます。外側にはショコラのグラサージュをコーティ
ングしました。回りには砕いたパイ生地を付けています。上にはカカオのチュイ―ル
とミルクチョコ、ブラックチョコを飾っています。また、舞姫なので華やかなバラを
使ってトッピングし、舞いのように高さも出しました。ラバイヤデールは中がムース
やプリン、ババロアで2〜3層にした、紅茶とアーモンドの香りがする、ヨーロッパ
のお菓子です。
 

7.ヨーロッパの食文化はイタリアからフランスへ 宮島直機 

1、イタリア政治的統一はトリノを支配していたサボイア家という王家が中心
となり、北から南を征服統合した。統一されると国境内は、人の移動も自由に
なるので、逆に南の先進的食文化が北へ上がっていった。

2、フランス
フランス料理は、もともとアルプス山脈の北側にあった豚肉、ラード、ビール
をワンセットにしたものであった(さらに牛肉、バター、チーズが付属)。
この料理に南イ タリアの料理がトリノ経由で入ってきた。南イタリアの食文
化は、古くは地中海のギリシャ・ローマ時代にはじまるパン、オリーブ、
ワインがワンセットになっており、さらに野菜と果物がついていた。また、
ヨー ロッパはキリスト教を受け入れた地域なので、儀式に必要なパン、
オリーブ、ワインがアルプス山脈の北にも広がっていった。キリスト教の最も
重要な儀式であるミサでは、パンはイエスの体、ワインはイエスの血を象徴す
るとされており、またオリーブ油も死んだときに遺体に塗る終油として欠かせ
ないものである。フランスは、この南ヨーロッパの食文化が、もとからあった
北ヨーロッパの食文化が合流する良い場所であったということになる。

3、フランスの特異性
12世紀、ロアール川とライン川に挟まれた地域に農業革命が起り、北フランス
が栄える。北フランスは南フランスを征服するため異端退治と称してアルビ十
字軍を出兵させ、南フランスを征服統合し、いまのようなフランスができあが
る。フランスはイギリスとの対抗関係から、早くから王国を形成していた。
イギリスは11世紀中ごろ、フランドル地方からやってきたノルマン人に征服さ
れため、最初から1つの国としてのまとまりが良かった。フランスは、そんな
イギリスと対抗するために、早くからつの国にまとまらざるをえなかったので
ある。さらに農業革命のおかげで豊かであり、ヨーロッパで1等国のモデルの
ような存在となった。ベルサイユ宮殿はその典型である。ウイーンにあるハプ
スブルグ家のシェーンブルーン宮殿など、ヨーロッパには、各地にベルサイユ
宮殿を小規模にしたようなものがある。フランスを真似することが文明化を意
味し、先進国になる条件となった。外交用語もラテン語からフランス語に変
わった。フランス料理も食文化のモデルとして受け入れられていった。

4、フランス料理の特異性
イギリスは貧しかったので、海外に出ていっていろいろなものを手に入れよ
うとした。フランスは豊かだったのでその必要はなく、植民地開発も熱心では
なかった。豊富な食材のほかにも、貴族の存在が料理の工夫を可能にした。
貴族は贅沢を高い身分の証しとしていた。自分たちの贅沢さアピールするため
に料理に工夫を凝らしたのである。中 世ヨーロッパでは香辛料が高価だった
ので、胡椒やサフランをたくさん使うと贅沢な料理と思われていたが、ポルト
ガルやスペインが新航路を開いて香辛料を大量に仕入れるようになると香辛料
は安くなり、贅沢な料理の証拠にならなくなった。そこでフランスの料理人
は、香辛料を使わずに素材を生かす工夫をはじめる。また、19世紀の終わりに
フランス革命が起きて貴族達が抱えていた料理人が貴族の宮廷から街に出て
行った。料理人は食事を用意して、それを客に食べさせることを始めた。レス
トランの登場である。これがヨーロッパ中に広まっていった。「レストラン
restaurant」という言葉の由来は、「元気をつける、食べさせる」という
意味のrestaurerが、現在進行形のrestaurantになったものである。
フランス料理の根源にあるフランスの豊かさを生み出した農業革命について
は、前回の講演で説明済みです。そちらを参照して下さい。ただし、前回には
森林伐採用に斧、鉈、鋸が鉄で作られたこと、それを使った大開墾時代と呼ば
れる大規模な開墾が12世紀に始まったことには触れませんでした。その点は、
説明を追加しておきます。また、収穫高がそれまでの2倍になり(1粒?3、
4粒から1粒?7、8粒に倍増)、それが大規模開墾に伴って必要になった種
の供給を可能にしたことも説明として追加しておきます。

ヘーゼルナッツショコラムース
写真はヘーゼルナッツショコラムース。一番下にヘーゼルナッツのダコワーズを
敷いてあります。ダコワーズにはヘーゼルナッツのリキュール、フランジェ リコを
軽く シロップとしてうってあります。
その上には、チョコレートのムースとヘーゼルナッツのブリュレを乗せています。
ムースにはゼラチンあまり入れず、口溶けを良くしました。回りはヘーゼルナッツを
ムースで上がけした、グラサージュショコラです。上には金箔スプレーを吹き掛け、
ローストし、飴掛けしたヘーゼルナッツを 飾っています。

8.南イタリアと北イタリア    宮島直機  

1、南イタリア
南イタリアの食文化は、次の国の人々から影響を受けている。
○ローマ帝国
ローマ帝国では古くから、野菜や果物を食べていた。野菜はキャベツ、ビエトロ、
カブ、ほうれん草、サラダ菜、そら豆、えんどう豆、ポワロ葱、にんにく、たまねぎ
など。果物はリンゴ、梨、葡萄、イチジク、ざくろ、桃、さくらんぼ、プルーン。
アフリカから西瓜とメロンも入った。また、パンやオリーブ、ワインは南イタリア
の基本的な食べ物で、もともと地中海地方のものだったが、キリスト教の儀式用品
としてヨーロッパ中に普及した。パンはイエスの体に変わるもの。オリーブ油は聖油
に使い、死体に付ける終油にもなる。ワインはキリストの血を表す。ただ、ワインは
ドイツのライン川の日当たりの良い北側の土手までで、それ以上、北では作れない。
オリーブ油もアルプス山脈を超えたら作れないので、輸入されている。また、ローマ
人は小麦粉を練り、平たくして小さく切った生のラザーニアを食べていた。これが
イタリアのパスタ類になった。東ローマ帝国が南イタリアを長く支配したので、今
でも野菜や果物をたくさん食べる習慣が残っている。
○イスラム教徒
7世紀、イスラム教が普及しはじめ、イタリアではシチリア島まで、イスラム教徒が
征服し、次のような食材が持ち込まれた。先ず、北の方では生で使ったパスタを、南
イタリアでは乾燥パスタにした。イスラム教徒は、沙漠を移動するので、乾燥させて
保存食にする必要があった。乾燥パスタはシチリア島で大量に作られた。
米も灌漑設備を含めて持ち込まれ、アルプス山脈の下にあるポー川添いのロンバル
ディア平原に普及した。また、今のヨーロッパでは作られていないが、さとうきびを
シチリア島に持ち込み、地中海の島々で作った。これが西インド諸島、キューバ、
ハイチなどに広がる。さとうきびは、蜂蜜に取って変わる甘味で、当時は贅沢品
だったため王侯貴族しか食べられなかった。庶民は玉ねぎを煮て、甘味に使った。
その後、19世紀はじめ、ヨーロッパをナポレオンに支配されたので、イギリスは貿易
を禁止し、大陸封鎖した。イギリスが海路を押さえていたので、西インド諸島で作ら
れた砂糖が入らなくなった。このためナポレオンはカブの中から甘みの強い砂糖大根
を栽培させ、搾りかすを家畜の餌にした。このカブの栽培は、三圃制を無くすきっか
けとなる。ヨーロッパでは昔から、連作障害を避けるため、畑の3分の1を休閑さ
せ、そこに家畜を放す三圃制をとっていた。しかし、カブの栽培により、家畜は小屋
で飼って、畑を全部利用するようになった。肥料の糞が肥料になったので、三圃制は
15〜16世紀に無くなっている。この他、イスラム教徒はレモン、ナス、アーモンド、
ヘーゼルナッツなどを持ち込んだ。
○ノルマン人
三圃制がアルプス山脈から北側で取れたのは、溶けない雪が根雪となるからである。
雪が降る前、畑を耕して種を蒔き、土を被せておく。上に降った雪は防寒材になり、
春になると溶けるので、先ずこの水が利用できる。これで春先に蒔いた種は芽を
出し、夏に収穫できる。もう一度、夏に雨が降り、この水が利用できた。しかし、
地中海地方は二圃制であって三圃制ではない。冬にしか降らない雨で、春に芽を出さ
せ、夏から秋に収穫する。作物は1回しか採れない。畑は半分利用し、半分は休閑に
している。西ドイツと北フランスで始まった三圃制の農業技術は、地中海地方では
利用できない。従って、ノルマン人が南イタリアに、農業技術を持ち込んだとは考え
られない。ただ、蕎麦を南イタリアに持ち込んだことは考えられる。蕎麦はあまり
肥沃ではない山の中で採れるからだ。また、イスラム教徒の持ち込んだものを、南
イタリアに広める役割も果たしている。
○ フランス王家
その後、やってきたフランス王家は、11世紀ごろ東ローマ帝国からフォークを持ち
込んだ。パスタは熱いので、木製のフォークを使って食べた。ナイフ、フォークを
個々に使う習慣もイタリアから始まった。
○スペイン王家
フランス王家の後、スペイン王家は南イタリアやシチリア、ナポリを支配し、南
アメリカから新しい食材を持ち込んだ。トマト、とうもろこし、じゃがいも、
いんげん豆、唐辛子、ピーマンなどである。かぼちゃはローマ帝国時代に食べて
いたが、忘れられ、南アメリカから入り復活した。トマトはチーズと組み合わさっ
て、イタリアの食文化に重要な役割を果たした。また、イタリアは19世紀中頃に
統一され、イタリア人という意識が出て来た。この時、家庭の主婦が作っていた
レシピを各地で集めて本にする人が出てきた。これを読んだ人が同じものを作る
ようになり、イタリア料理になっていった。

2、北イタリア
北イタリアは北ヨーロッパ的である。ローマ帝国の生のラザニアも生のパスタとして
残った。また、ランゴバルド人が来て、豚、牛、ラード、バター、ビールなど
ゲルマン人の食文化を普及させた。ちなみに、北イタリアのロンバルディア平原は
「ランゴバルト人がいるところ」を意味している。また、オーストリア人もやって
きたが、食文化でイタリアに貢献したものはない。
○フランスとの交流
1533年、カトリーヌ・ド・メディシスは料理人を連れて、アンリ4世に嫁いだ。
この時、フランスにイタリア料理が普及したというが証拠は無く、伝説にすぎない
ようだ。むしろ、以前から北イタリアとフランスの交流は盛んであった。ドイツ人も
キリスト教徒になった後は、ローマを目指してアルプス山脈を超えている。また、
1533年以前から、中世ヨーロッパの共通語、ラテン語のレシピがフランス語に
訳され、ヨーロッパ中に広まっていった。また、北イタリアではピエモンテ地方が、
フランスとの掛け橋になっている。

◎バラのムース
写真のお菓子はバラのムース。一番下はピスタチオを使ったビスキュイジュコント
の生地を敷いています。ムースの中の生地はアーモンドプードルのビスキイダマンド
を使い、セージの葉を加えたシロップも打ち込んでいます。その上に、ラズベリーと
すぐりのゼリーをのせています。ゼリーにもセージを刻んで、香りを出しました。
 ムースはカスタードソースを作り、バニラビーンズを加え、泡立てた生クリーム
ソースを加えました。
最後にローズウォターを入れたグラッサージュをかけます。飾りは上には、ミントと
ラスベリー、食用のバラ、横にホワイトチョコレートを付けました。皿の周りに
飾った花びらは卵白に付けて、グラニウートをまぶし、低温のオーブンで乾燥を
させたものです。