May 19, 2018

テーブルコーディネート洋食

テーブルコーディネート教室東京、公式、ブログです。
宮島ワンダ教室です。こんにちは。
テーブルコーディネーター仕事内容に関係ある
世界一の料理モデルになったフランスのついて
書いてみました。

まずムースをご紹介いたします。
◎バラのムース
、セージ風味

この季節のお菓子はバラのムース。ピスタチオを使ったビスキュイジュコント
の生地を敷いています。ムースの中の生地はアーモンドプードルのビスキイダマンド
を使い、セージの葉を加えたシロップも打ち込んでいます。その上に、ラズベリーと
すぐりのゼリーをのせています。ゼリーにもセージを刻んで、香りを出しました。
ムースはカスタードソースを作り、バニラビーンズを加え、泡立てた生クリーム
ソースを加えました。
最後にローズウォターを入れたグラッサージュをかけます。飾りは上には、ミントと
ラスベリー、食用のバラ、横にホワイトチョコレートを付けました。皿の周りに
飾った花びらは卵白に付けて、グラニウートをまぶし、低温のオーブンで乾燥を
させたものです。

 

1。フランス: パン、ワイン、オリーブ油の意味

フランス料理は、もともとアルプス山脈の北側にあった豚肉、ラード、ビール
をワンセットにしたものであった(さらに牛肉、バター、チーズが付属)。
この料理に南イ タリアの料理がトリノ経由で入ってきた。南イタリアの食文
化は、古くは地中海のギリシャ・ローマ時代にはじまるパン、オリーブ、
ワインがワンセットになっており、さらに野菜と果物がついていた。また、
ヨー ロッパはキリスト教を受け入れた地域なので、儀式に必要なパン、
オリーブ、ワインがアルプス山脈の北にも広がっていった。

キリスト教の最も
重要な儀式であるミサでは、パンはイエスの体、ワインはイエスの血を象徴す
るとされており、またオリーブ油も死んだときに遺体に塗る終油として欠かせ
ないものである。フランスは、この南ヨーロッパの食文化が、もとからあった
北ヨーロッパの食文化が合流する良い場所であったということになる。

2。フランス:ヨーロッパで1等国のモデル

12世紀、ロアール川とライン川に挟まれた地域に農業革命が起り、北フランス
が栄える。北フランスは南フランスを征服するため異端退治と称してアルビ十
字軍を出兵させ、南フランスを征服統合し、いまのようなフランスができあが
る。フランスはイギリスとの対抗関係から、早くから王国を形成していた。
イギリスは11世紀中ごろ、フランドル地方からやってきたノルマン人に征服さ
れため、最初から1つの国としてのまとまりが良かった。フランスは、そんな
イギリスと対抗するために、早くからつの国にまとまらざるをえなかったので
ある。さらに農業革命のおかげで豊かであり、ヨーロッパで1等国のモデルの
ような存在となった。ベルサイユ宮殿はその典型である。ウイーンにあるハプ
スブルグ家のシェーンブルーン宮殿など、ヨーロッパには、各地にベルサイユ
宮殿を小規模にしたようなものがある。フランスを真似することが文明化を意
味し、先進国になる条件となった。外交用語もラテン語からフランス語に変
わった。フランス料理も食文化のモデルとして受け入れられていった。

3。フランス料理の特異性、レストランの始まり、理由
イギリスは貧しかったので、海外に出ていっていろいろなものを手に入れよ
うとした。フランスは豊かだったのでその必要はなく、植民地開発も熱心では
なかった。豊富な食材のほかにも、貴族の存在が料理の工夫を可能にした。
貴族は贅沢を高い身分の証しとしていた。自分たちの贅沢さアピールするため
に料理に工夫を凝らしたのである。中 世ヨーロッパでは香辛料が高価だった
ので、胡椒やサフランをたくさん使うと贅沢な料理と思われていたが、ポルト
ガルやスペインが新航路を開いて香辛料を大量に仕入れるようになると香辛料
は安くなり、贅沢な料理の証拠にならなくなった。そこでフランスの料理人
は、香辛料を使わずに素材を生かす工夫をはじめる。また、19世紀の終わりに
フランス革命が起きて貴族達が抱えていた料理人が貴族の宮廷から街に出て
行った。料理人は食事を用意して、それを客に食べさせることを始めた。

レストランの登場
これがヨーロッパ中に広まっていった。「レストラン
restaurant」という言葉の由来は、「元気をつける、食べさせる」という
意味のrestaurerが、現在進行形のrestaurantになったものである。
フランス料理の根源にあるフランスの豊かさを生み出した農業革命について
は、まだです。お楽しみ下さい。


 

 

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